当店は 江戸時代初期(4代将軍家綱の時代)の寛文元年(1661年)箱根関所の役人だった初代江嶋権兵衛が小田原で創業し、現当主で17代 2021年に360年を迎えました。
江嶋について
ABOUT EJIMA江嶋について
「小田原一筋360年」
「ハレとケ」
創業以来 冠婚葬祭など特別な日(ハレ)に使う儀式用品や贈答品のほか、日常生活(ケ)に欠かせないお茶や日用品を幅広く取り揃えています。
「ニッポンの良いものを」
香り高くて色の鮮やかな静岡県掛川産の深蒸し煎茶、有明海産の口どけのよい海苔、丈夫で美しい手漉き和紙、使いやすくてデザイン豊富な日本各地の陶磁器や南部鉄器など、味や品質の確かな “MADE IN JAPAN” をお届けします。
HISTORY寛文から令和
1600(慶長5年) | 関ケ原の戦い |
---|---|
1603(慶長8年) | 徳川家康が江戸幕府開く |
1637(寛永14年) | 島原の乱 |
1661(寛文元年) | 初代江嶋権兵衛 小田原にて創業 |
1852(嘉永5年) | 13代平八 家督を相続 |
1853(嘉永6年) | ペリー来航 |
1868(明治元年) | 明治天皇行幸の際 金一封を下賜される |
1921(大正10年) | 15代平八 家督を相続 |
1923(大正12年) | 9月1日 関東大震災発生 |
1928(昭和3年) | 現店舗完成 |
1949(昭和24年) | 江島平八商店を株式会社に改組 |
1953(昭和28年) | 関連会社 合資会社丸江商会(現 株式会社丸江)設立 |
1965(昭和40年) | 株式会社江島に商号変更 |
2012(平成24年) | 株式会社丸江と合併 |
2021(令和3年) | 創業360周年 |
-
「二人の平八と報徳思想」
当店は、江戸時代初期(4代将軍家綱の時代)の寛文元年(1661年)、箱根関所の役人だった初代江嶋権兵衛が
創業して令和3年(2021年)に360年を迎えました。江嶋の歴史を語るうえで欠かせないのが二人の平八(へいはち)と
小田原出身の農政家二宮尊徳(1787-1856)の報徳思想です。13代平八(1828-1917)は幕末から明治にかけて
の激動に時代に、傾きかけていた店を立て直すために当時はまだ珍しかった商業簿記を導入した経理改革を行い、
報徳思想(経済と道徳の融和)に基づく利益の分配と社会貢献に尽力しました。13代の遺業を引き継いだ15代平八
(1897-1966)は、家督を相続した大正10年(1921年)に「江島本店々則」(店内「街かど博物館」にて展示中)を
制定し、当家の分家や当店で奉公した者がのれん分け禁止の「一家内(いっけうち)制度」が記され、同じ地域内にお
いて同じ商売での競争を避けることで、当店とのれん分けした同族商店の利益を守りました。報徳思想の「自他両全」
-売りて喜び買いて喜ぶ=自分も他者も共に良くなろう-を経営の基盤とし、戦前戦後にかけて当店だけでなく小田
原の発展と復興にも努めました。 -
「関東大震災復興建築」
大正12(1923年)年9月、15代平八が家督を相続した後に起きた関東大震災は小田原沖が震源だったため、当店も
地震による火災で店舗が焼失して多くの商品や先祖代々から伝わる家宝や記録のほとんどすべてを失うという悲劇に
見舞われました。その後数年間全国各地から最良の材料を集め、大勢の大工や職人たちの手と多額の費用を費やし
(当時家一軒3千円という時代におよそ2万4千円かかった)、昭和3年(1928年)に現店舗の基礎となる建物を
再建しました。昭和の間に何度か増改築を行い、平成に入ってからは当時計画されていた再開発事業で一時は建物の
取り壊しも決定していましたが、バブル崩壊により計画がなくなり、築90年以上を経た今日も小田原の伝統的な
商家建築の出桁(だしげた)造りと熨斗瓦を積み上げた瓦葺きの屋根が建築当時の外観をとどめています。
平成31年(2019)年4月、2か月半かけて耐震補強と内装工事を行い、昭和の改装で天井の裏に隠されていた建築当時の
梁をあらわし、天井高4メートルの空間が広がる新店舗が完成しました。
~平成30年 小田原市歴史的風致形成建造物に認定~ -
「街かど博物館」
江戸末期の嘉永6年(1853年)に13代平八が記した店勘定帳(初帳)や関東大震災の火災で焼失した後
15代平八が新たに作成した財産台帳などの帳簿類、店舗完成の記念に作られた鹿革製の法被、
15代平八と交友があった実業家 益田孝(鈍翁)氏愛用の梅型茶釜など、当店ゆかりの品々を小田原の歴史や
文化を紹介する「街かど博物館」にてご覧いただけます。